1969年というのは激動の60年代最後の年という大きな節目でもあり、またアポロ11号が人類史上、初めて月面に到達した記念すべき年としても多くの人に記憶されている。
だが、私個人の記憶の中にはそれ以上に衝撃的な出来事が強く焼き付いている。スバル360の後継車、スバルR−2のデビューである。
夏休みのある日の新聞朝刊。「日本中のドライバーが待ち望んだハードミニ」というキャッチコピーと共に掲載されたR−2の颯爽とした全面広告を私は今でも忘れない。
ホンダN360に後塵を浴びせられていたスバルに待ち望まれたニューモデルの登場、しかし慣れ親しんだスバル360が無くなってしまうのではと子供心にも心配した。だが広告の片隅にデラックスとスタンダードに限り360も併売される旨、書いてあってひとまずは安心した。
親にねだってカラー記事のいっぱい載っているモーターファン誌を買ってもらい、星島浩氏らの試乗記事をむさぼり読んでその評判の良さにも感心し、これなら憎っくきホンダNに一泡ふかせられると期待したものだ。
しかし、結果的にR−2は成功したとは言えなかった。デビュー当初はよく売れたが、時代は70年代に突入して軽自動車にも豪華さ、若者受けを求めるようになっていく。シンプルなR−2は後年デビューしたフェローMAX、ホンダライフ等に市場を喰われていきシェアを低下させる。R−2は豪華さを装った不本意なマイナーチェンジを繰り返し、わずか3年弱で退場を余儀なくされてしまうのだ。
あれから20年余りを経て、私は遙か三重県においてR−2を購入した。
決して誉められたコンデイションではなかったがつい勢いで、という奴だ。現車は70年式のスーパーデラックス。アクロポリスホワイトという澄んだ白色の純正色なのだが、ボデイ表皮はクレンザーで磨いたかのように光沢がなく、ボンネットの先端にも錆が浮いていた。とりあえず車検を取ってもらって、高速道路に乗って東京まで自走で帰るというたいそう無謀な事もやった。今ではとても考えられない。若いから出来たのだろう。
乗ってみての第一印象は、スバル360に、比べ遙かに豪華で近代的で乗りやすくなったなあというものだ。
4速フルシンクロのシフトは360のように、ダブルクラッチを踏まなくてもたやすくシフトダウンできる。鉄板むき出しだったダッシュボードは豪華なパッドがはられ、スバル360のような寒々しい気分に陥ることもない。スーパーデラックスにはAMラジオさえ標準装備で私は三重県からの帰路、ミュージックを愉しみながらドライブすることができた。
|